その体調不良は、ある日突然始まった。

2020年の春、私は長いキャリア生活で初めて、その部署に配属になった。

人事異動は勤め人の常。
内示を告げられた時、驚きのあまり椅子から立ち上がってしまったことが、在職中に2回ある。
この2020年の異動は、そのうちの1回だった。

傍から見たら、その人事は意外なもので、私にはもったいないものだった。
それもまた、精神的な負担ではあった。

その異動先チーム、数年前までこの組織の中で、トップの肝いり業務を担当し、かなり多忙だったらしい。
近年はそれも落ち着き、そこまで忙しくはないということを聞かされたが、前任者も、前前任者も、若いころこの部署を経験したことがあるエース級の人材。

そんな経験値がある人と、その部署が素人の私では、漢字を知らないのに専門書を読め、といわれている小学1年生と大学院生くらいの差があるようなものだった。

そんな不安を抱えながら始まった新年度。
予想以上に、これまでよりも数段、精神的、そして身体的に厳しい日々を過ごすことになった。


その職場の上司や同僚とは、これまで全く仕事上の接点がなく、名前だけは知っている、といった人ばかり。
そして、部署長は、わが組織の中でも特に厳しいと評判の方。
私もこれまで、様々なタイプの上司と付き合ってきたが、この方ばかりはどのように接していいのか、模索の日々が続いた。

なぜかというと、この上司は、いつも私や後輩たちが予想する反応と、全く違う反応をする人だったかからだ。
単に相性が悪いといえばそれまでだが、それにしても毎日がしんどかった。

このチームの仕事は、解決すべき課題が多く、さらに複雑で、とにかく毎日、打ち合わせと説明の毎日だった。
いかにして、ゴールに向けて上司を納得させ、首を縦に振らせるか。
ぶれなく、しっかりと詰めた理論で論破できるか。

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しかし、その職場の素人である私の付け焼刃の知識では、なかなか歯が立たない日々が続いた。
資料を家に持ち帰っては読み込み、自分なりに努力した。
チームの後輩たちも、一生懸命、戦略を立てるために知恵を絞ってくれたし、直属の上司も味方をしてくれた。

それでも、なかなかスムーズにはいかなくて、いつしか季節は蒸し暑い梅雨に入っていた。


そんなある日のこと。
その日は雨で、湿度が高く、とても不快な気候だった。
職場のエアコンは、あまり性能がよくなく、快適な職場環境ではなかった。

昼食後、例の上司との打ち合わせの時間を待っていた私は、突然、頭がぐらぐらとする強いめまいに襲われた。
目の前が真っ暗になり、気付くと、机の上に力なく突っ伏し、頭が上げられない。
起き上がれず、頭のてっぺんから、滝のような汗が流れてくる。
顔からも汗が噴き出し、呼吸も荒く、動悸も早まっている。
吐き気が襲い、自分で自分がどうなるのかわからない状態になった。

そんな異常に女性の後輩が気づき、救急車を呼ぶかと聞いてくれたが、職場全体が静まり返ってピリピリしている中、自分のことで大事(おおごと)にしたくなかった。

そうこうしていると呼吸が落ち着きだし、なんとか頭が上げられるようになった。
後輩が休養室に同行してくれ、1時間ほど身体を横たえた。

そうして、その日は最小限の仕事だけをして、早々に帰宅したものの、帰った後もすぐに寝込んでしまった。


忘れもしない、あの蒸し暑い梅雨の日。
あの日をきっかけに、自分の身体の中で、なにかが変わった。

そして、それからというもの、なにかあるとすぐに、私は体調不良を引き起こすようになってしまったのだった。



それまでは、仕事でストレスがあっても、家ではジェファンの歌を聴いたり、一晩眠れば、なんとか翌日には、また違う朝だ、がんばろうと自分に言い聞かせ、出勤することができた。

しかし、その頃から、自分の中で、体調不良のスイッチが簡単に入ってしまう、そんな日々が続いた。

家でも資料を読みながら、また明日、上司のダメだしがあるかと思うと、気分が落ち込み、憂鬱になる毎日が続いた。
考え事が増え、眠りに入る時間もどんどん遅くなり、睡眠時間が短くなっていった。



そして、真夏になるにつれ、ますます体調は不安定になっていった。
この年は、コロナウイルスパンデミックの最初の年。
真夏のマスク生活に慣れず、毎日毎日、顔から吹き出す汗と戦った。
血圧が高めの私は、マスクのせいで、よく顔が火照る。
簡単に思考回路が停止するようになってしまった。
集中力がまるで持続しない。

これが「ホットフラッシュ」なるものだと、その時は、まだ気づいていなかった。



<アラフィフ女子 更年期離職を決意するまで【②】に続く>


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