<私が更年期離職を決意するまで【①】からの続き>


前回は人事異動で変わった部署で、ストレスのかかる仕事と人間関係に翻弄され、毎日、体調不良に悩まされるようになった話まで、書いてみた。


今回は、なぜ私が、自分の更年期障害について書こうと思ったのか、少し補足したい。


思い返せば、自分の生活は、とにかく仕事優先。
子どもは授からず、夫婦二人の生活を、ずっと続けてきた。
私は、母という存在にもなれず中途半端。
だとしたら、自分という人間は、何をもってして存在証明をするんだろう。
じゃあ、仕事で自分の人生の証明をしよう。
そんな、漠然とした思いは、抱えていた。

では、仕事は楽しかったのだろうか?
やはり、それなりにやりたい仕事をやらせてもらえていたには、ちがいない。
仕事を通じて、存在証明もできていたのかもしれない。


でも、人間には何が起こるかわからない。
毎日、目が覚めるたびにめまいがして、吐き気がする。
唯一自分が自分であると証明できる場を守ることができない。
そんな日々が訪れるなど、思いもしなかった。



だから、もし自分以外の、同じような世代の誰かが
更年期障害に苦しんで、それを更年期障害とも気づかずに
家で寝込んでしまったりすることに苦しみ、
このブログにたどり着くことがあったとしたら、

更年期障害を持て余し、離職した今もまだ
完全に更年期障害を克服しきれていない、そんな私だけれど、

苦しんでいるのは、あなただけではないよ、ということを、
ここに、文章で残していきたい、そう思ったのだ。

5


蒸し暑い夏を過ぎ
季節の変わり目の秋も越えても、
体調は完全に軽快することはなく、
仕事場のストレスも軽減することはなく、
モヤモヤした不快感をずっと抱えていた。


そのころから、職場や家庭で、イライラすることが増えてきた。
思い通りにならない体調、
相変わらずストレスのかかる仕事、
相性が悪く、時折パワハラまがいの発言を浴びせる上司の存在。
体調への理解が浅い主人。

そんなある日、急激に気温が下がった冬の初めの日のこと。
新たなミッションがチームに与えられた私は、朝から、交渉の相手方の事務所に伺うことになっていた。
キンと冷える空気に、いやな予感がした。

相手方の事務所は、街中でも小高い丘の上にあった。
地下鉄駅から歩きだし、坂道を上る。
すると急に息が切れ、動悸を感じはじめた。いままでに感じたことのない、いやな鼓動。
胸の奥がきゅっとなる。
…もしかしたら、心臓系の発作なのかもしれないという不安がよぎる。

ゆっくりと坂道を登り切った後、マスクを外して深呼吸をする。
落ち着け。とにかく落ち着こう。
こんなところで救急車を呼ぶわけにもいかない…と。

しばらく休むと、落ち着いてきたので、相手の事務所に向かうことができたが、その日でまた、自分の
体調は、もう一段階変化したことを実感した。


翌日、すぐに職場近くのクリニックに駆け込んだ。
昨日の状況を説明すると、すぐに心電図を撮り、心エコーを行い、続けて24時間のホルター心電図を付けるよう、指示された。

もうこれで、心臓疾患の診断が出たら、私はもう仕事を休もう。
もう、ダメだと、正直思っていた。

しかし結果は、特筆すべき疾患があるわけではないという診断。
こんなに調子が悪いのに、なぜ病名が付かないのか…。
自分の身体に何が起こっているのかわからないまま、さらに時間は過ぎた。



<アラフィフ女子 更年期離職を決意するまで【②】に続く>


画像:Canva  
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